偉大な前監督を継ぐ…
高校駅伝日本一、実に8回。未だに破られていないその記録は、西脇工業・渡辺公二前監督によってつくられた燦然たる歴史だ。渡辺監督は1982年の初優勝を皮切りに、高校新記録樹立や2度の連覇を果たすなど、名門の礎を一代で築き上げてきた。2009年に勇退をしたものの、70歳を超える現在も各地を回り、熱のこもった指導を続けている。
そんな名伯楽のあとを継ぎ、現在西脇工業を率いているのが足立幸永監督だ。同校の卒業生であり、初期の西脇工業を選手として支えてきたひとりである。コーチを13年間経験し、監督としては今年で4年目。日本一にこそなっていないが、昨年の4位など、着実に名門としての結果を残し、今年も優勝候補の一角として注目を浴びる1校となっている。
「監督になって4年目。コーチのときにはなかったプレッシャーも経験しました。西脇の人たちはみんな駅伝が大好きで、とても盛大に応援してくださる。渡辺先生はさすがだな、って本当に思わされますね。」
と、本音もポロリ。しかし同時に、自分なりの指導にも手ごたえを感じてきている。
4年間で変わったものとは
渡辺前監督の頃から、西脇工業の練習量は少ないことで有名だった。1日に走る距離は多くても14,000mほどで、定期的な休みも必ず設ける。雨が降ったら無理をせずに補強などだけで練習は終わるようにしている。「このあたりは今でも変わりません。しかも当時から練習メニューなどは選手主導で、自分に必要なものを決めさせています。とにかく故障だけは怖いですから、絶対に無理をさせたくないんです」
と、足立監督。名門校で実績のある選手が集まってくるとはいえ、走っているのは15歳〜18歳の少年たち。20歳以上の選手たちと同じような練習をさせれば、おのずと体に無理がきてしまう。もちろん目先の駅伝にも勝ちたいが、西脇工業の指導で常に念頭に置いているのは“10年先を見込んだ育成”なのだという。
「渡辺先生もそのことは常におっしゃっていました。とにかくずっと選手を見て、話し、ノートを書かせ、異常があればきちんとケアをする。これだけは変わらず続けなくてはいけないと考えています。」
もちろん、変わってきたものもある。一番大きいのが練習に「動きづくり」と「ラダーを使ったトレーニング」を追加したことだ。渡辺監督時代にも補強などは行っていたが、細かい動きづくりなどは行っていなかったという。その意義に関して、足立監督が解説をしてくれた。
「内容自体はそれほど真新しいものではないかもしれません。スキップのドリルであったりラダーを使ってみたり。ただ、これをどんな意識で行うかに、ポイントがあると思っています。まず、伸びない選手というのは脚が後ろに流れることが多い。脚の切り返しが悪く、ひざがスムーズに前に出てこないんです。これが動きづくりをすることで、軸がしっかりとつくられ、正しい接地と離地の動きができてきます。このあたりをきちんと意識させるようなやり方で、ずいぶん以前と動きが変わってきているように思いますね。」
この動きづくりを15分〜20分ほどで行う。練習時間は限られているので、ほかの練習をうまく調整しながら時間を捻出したという。
「トレーニングも体幹を中心とした種目構成に変えて、これまで少なかったクロスカントリーも多く取り入れるようになりました。指導スタイルも渡辺先生と私では違いもあると思います。ただ、それで本当によくなったかといえば分かりませんが、これが私なりの“山の登り方”なんですよね。」
頂上への登山ルート
足立監督は続ける。
「駅伝日本一という山の頂上があるとすれば、そこへ登りつめるにはいろいろなルートがあると思うんです。険しいけど一直線に最短距離で登る道、遠回りだけど着実に登っていける道、あと、誰も登ったことがない道なき道。みんな頂上を目指しているんだけど、決して誰もが同じ道を行くわけじゃない。渡辺先生には渡辺先生の道があったし、私には私の道がある。同じ西脇工業にいても、同じやり方でいいわけないんですよね。そもそも、渡辺先生と同じことをやれといわれてもできないと思いますが(笑)」
陸上競技に限らず、名将のあとを継ぐ若手指導者の多くは、この“道”が見つけられずに悩んでいる。以前と比べられ、評価され、そして結果を求められる。模倣から始めてみてもうまくいかず、自分の色を出そうとしすぎると周囲が戸惑ってしまう。
「変わってはいけないもの、変えていくべきものの見極めは難しいですね。渡辺先生がつくられてきた基礎…例えば選手育成の考え方などは決して変えてはいけないと思います。でもそのための手段に関しては、時代に合わせて試行錯誤をしていくことが必要なんじゃないでしょうか」
足立監督はまだ、監督としての頂上の景色を知らない。だが着実に歩を進め、近い将来、その場へとたどり着くことになるだろう。そしてその後もまた、2回目、3回目の頂上を目指して登り続けることになる。
「渡辺先生は8回頂点を極めたわけですが、それが毎回同じ景色だったわけじゃないでしょう。それは毎回選手が違ったから。要するに登り方が違ったからですね。」
不変と進化、それは絶妙なバランスで今後も西脇工業にはあり続ける。
足立 幸永(あだちこうえい)
1963年兵庫県まれ。西脇工業を卒業後、日本体育大学へ進学。箱根駅伝でゴールテープを切るなど、選手としても華々しい活躍を果たした。指導者として96年から母校に戻り、渡辺公二前監督のもとコーチに就任。09年より監督として就任した。