「師との出会いがプロセスを変えた」
2008年に念願の日本一を達成し、2010年には2度目の頂点に立った本丸中学校。ここ15年で9回の全中出場という驚異的な結果は、ひとりの名将によって築かれた同校の歴史でもある。U16日本代表のヘッドコーチを務めるなど、いまやバスケット界を引っ張る存在となった富樫英樹監督も、当初はどこにでもいるイチ指導者だった。
「バスケが大好きで、教えるのも好きではありましたが、目指しているところはそんなに高いものではなかったですね。新潟でトップになりたい、全国大会に出られればいいな、というくらいでした。」
本人がそう言うように、結果も取り立てて大きなものはなく、監督としての存在も目立ってはいなかったという。転機が訪れたのはそろそろ30歳になろうかというときだった。ある有名な指導者との出会いが、青年監督の運命を変えていく。
「新潟の指導者仲間たちと、東京であったインカレを見に行ったんです。研修のような形だったと思います。でも、試合を見てお酒を飲んで帰るだけじゃもったいないからって、当時共同石油(現JX)にいらっしゃった中村和雄先生を訪ねていったんです。みんなで押しかけて、『新潟まで来て講習会をやってください』って。」
中村和雄氏といえば鶴鳴女子高校を3度の日本一に導き、その後共同石油を長年に渡り常勝軍団として率いた、バスケット界の重鎮。70歳を超えた現在も衰えを見せない『闘将』に教えを乞うため、皆でお願いに行ったという。
「この申し出に快諾していただいて、本当に新潟まで来てもらいました。とってもいい講習会で、選手はもちろん我々指導者もすごく勉強になりました。でもね、この会が終わったあとで中村先生にグサッとくる台詞を言われたんです。」
講習会のあと、打ち上げでの席だった。
「中村先生にお前の目標は何だと聞かれまして。堂々と『全国に出ることです』と答えたんですが、これを一蹴されたわけです。『違う、目標なんて日本一以外ないんだよ』と。やるなら一番上を目指さなくてどうすると言われて、居合わせた一同全く返す言葉がありませんでした。」
教育現場ではよく“目標・計画・実行”が大切だといわれる。何かを成し遂げるためにはきちんとした計画が必要であり、計画を練るうえで明確な目標設定は不可欠となる。中村氏の言葉を聞く前までの富樫監督には、この目標という点が足りなかったと振り返る。なんとなく『全国』という言葉を口にしてはいたが、計画も実行もなんとなくで終わっていたのだった。
「この出会い、この言葉をきっかけにして本当に変わりました。それなりに一生懸命やっていたつもりでしたが、本気になってみると次々と認識が甘かったことに気づかされるもので。面白いもので、指導者の意識が変わってくるにしたがって、選手の意識や動きもはっきりと変わるんです。それから徐々にでしたが、結果も出始めました。」
約3年後、このとき富樫監督が率いていた木崎中は、全中で準優勝を果たしたのだった。
「優勝が気づかせてくれた“自主性と感謝”の大切さ」
その後、本丸中に異動してからも快進撃は続く。2000年、2006年、2007年と3度の3位を経験し、2008年には冒頭のように初優勝を飾った。このときのチームに関して富樫監督は次のように振り返る。
「初優勝のチームはある意味、大本命だったんです。前年3位になったメンバーが残り、地元での開催となれば当然期待も高まります。ガードに息子の勇樹(現・秋田ノーザンハピネッツ)がいて、ほかの選手たちも『俺たちは全国制覇をするんだ』って当たり前に考えていましたから。接戦になった試合はありましたが、一度も負けるなんてことは考えませんでしたね。」
また、このチームの優勝が2年後の布石ともなっていく。
「勇樹たちのチームまではとにかくトップダウンが基本でした。監督の言うことが絶対、俺についてくればお前らを勝たせてやる、そんな指導スタイルでしたね。ところがあのチームは選手の意識が高かったので、自主性に任せられたんです。するとこれまで見えてこなかったものが見えてくるもんなんですよね。選手の自主性を尊重するということが、選手の可能性を伸ばすことになるんだなと気づかされましたから。そこからの次の優勝ですよ。まさかあのチームが日本一になるとは、そんな思いでした。」
2010年のチームは決してスター選手がいるわけではなく、下馬評も高いものではなかった。それだけに、自分たちがどうすれば勝てるのかを、ガードの選手やキャプテンを中心にしっかり考えられるチームだったという。
「もちろん全国制覇を掲げて戦ってきましたが、今思うとこのチームは決勝トーナメントに出られれば御の字というくらいでした。それが一戦一戦を経るごとに強くなっていく。それはきっと、選手が考えることをやめなかったから。次は何をすべきか、どうすればいい結果を招くことができるのか。選手たちの自主性が呼び込んだ、価値ある優勝だと思っています。」
そして、富樫監督は日本一になってから、頂上に立ってからまた違った景色を見ることができたと話す。
「優勝して一番強く感じたのが、自分の力なんて小さなものだったなということです。選手、保護者、指導者仲間など、いろいろな方の助けや知恵があっての結果なんだと。自分はなんて無知なんだろう、だから助けがないと無理だったんだろうなと思いました。選手にもバスケットより大切なことはたくさんあるぞ、日本一は目標だけど目的になっちゃダメだぞって指導をしています。よく『感謝が大切』といいますが、このときほどそれを痛切に感じたことはありませんでしたね。」
これまで2度の登頂を成し遂げてきた富樫監督だが、まだまだ違うルート、違う山へのチャレンジを続けていく。
「今は世界で戦える日本人選手を育てたいですね。そして目指すは世界一です。」
そう語る力強い目線の先には、すでに次の“目標と計画”がしっかりと掲げられている。
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富樫英樹(とがしひでき)
新潟県新発田市立本丸中学校バスケットボール部監督。U-16男子日本代表アドバイザリーコーチ。