【はじめに】
私は病院で終末期の患者さんを2 年間にわたり看てきた。診てたわけでもなく、見てたわ
けでもない。看てきたのだ。担当してきた患者さんは皆一様に末期の状態であり入院日から半
年以内に半数近くがこの世を去った。私は今まで約50 人の最期を看てきた。患者さんの家族
への配慮から本当の意味での最期、亡くなる瞬間や死に顔まで見せてもらえた患者さんは少
ない。それほど終末期とは患者さんと家族にとって特別な領域である。死という特別な瞬間に、
数ヶ月関わっただけの人間(医師、看護師を除く)がいるのは筋違いだと私個人は思っている。
PT として家族のように患者に接してきたが、決して自分は家族ではないということを言い聞
かせて仕事をしてきた。PT は医師のように死の診断をすることはできない。また、看護師の
ように湯かん(ご遺体を洗うこと、)や死化粧(エンゲルメイク)を施すことはできない。あ
くまで間接的にしか死に関われない仕事である。言い換えれば「生」に対してのみ全力を出
すことができる仕事である。 「患者さんが生きていないとPT はなにもできない。」 それに
気がつくのに2 年もかかる私自身の不器用さを恨みたいところだがまだ遅くないと思ってい
る。私が感じたことを伝えていくことが、亡くなった患者さんへの恩返しに、これから終末
期へと向かう患者さんへの一助となれば幸いである。
自分の患者さんがあと1 ヶ月の命ということが分かっていたら、どんな治療をしますか?
治療をする以上、何を以て結果としますか?
【私の考える結果】
私の考える結果は以下2 点に集約される。
①患者さんの気持ちを動かすこと。(意識がなく亡くなる間際でも人は泣く。最期まで感情は
ある。)
②家族が次に進めるようにすること。(残された人が立ち直っていけるように。)
【やってきたこと】
・自分がやれること全て
・家族ができることを指導
・看護師、介護士の手伝い(清拭から食事介助、おむつ交換まで)
・清掃員への指導
自分が関わる20 分だけでなく、自分がいない時間にも患者さんが大事にされるようにやって
きた。
【まとめ】
整形外科で働こうが終末期で働こうが、患者さんを楽にしたいという気持ちは一緒である。
その場でできることをやるだけである。そこに差はないはずなのに私は動ける人への治療や
目に見えて動きが良くなる治療技術に憧れと嫉妬感を持っていた。実際、勉強会に行けば動
きが変わればすごいと賞賛されている風潮があるような気もしていた。勉強会に行く度に「終
末期で私のやっている治療は何なのだろう?」と学会や教科書にある理学療法らしさが出せ
ていない自分が虚しく感じるような時もあった。今になって思えば私は患者さんのためにと
言いながら、自分のことしか考えていなかったと思う。どの環境にいてもその場を何とかす
るためにできることをやるだけである。その方法に上も下もない。治療技術や目に見える結
果も大事だがそれが全てではない。予後が悪く状況が厳しくても、落ち込まずできることを
探していくことが大切である。
重症だから、寝たきりだからと諦めてはいけない。患者さんとのつながりのなかで感じる
ことしかできない目に見えない結果だってあると私は思うし、それが一番大事だと感じてい
る。
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